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ブラウザと小説の新しい関係を模索する

誌面のスパイスとしての縦書き

 本棚を掃除していたら、女性向けの雑誌を見つけました。

 そういえば雑誌に目を通す機会が減ったなあと思い、手に取ってパラパラとやってみたのですが、おやと思うことが色々ありました。

 まず驚いたのは、そのパラパラが30分ぐらい続いたことです。

 次にもっと驚いたのは、その雑誌を閉じた後に何を書いてあったのか、ちっとも覚えていないことでした。

 つまり、僕は何が書いてあるのか覚えていないようなものを、30分も読み続けていたわけです。

 というか、正確には、そういう読み方を30分も「させられた」のです。

 なんでだろうなあ、と思って誌面をもう一度意識的に眺めてみると、「ああ雑誌って表現が一様じゃないんだな」と気が付きました。

 大小さまざまな挿絵や文字があるのは勿論のこと、その色もバラバラで、文字の方向も縦やら横やらが混在しています。

 有限スペースを最大限に活用する工夫が、こういう目に賑やかなバラエティーを生み、読むものを「なんとなく」楽しい気持ちにさせ続けたのだなあ、と。

 その結果、僕は「占いとか、ダイエットとか、恋ばなとか、映画とか、コスメとか」がごちゃごちゃ書かれていた誌面をめくり続けてしまった、と。

 で、改めて「縦書き」って重要だなあと思いました。

 それは読みやすいから、とかそういう理屈じゃなくて、一つの表現アイテムとして必要なスパイスなのではないかと。

 だって、世の中の雑誌から「縦書き」が消えたら、雑誌の楽しさというか「賑やかな感じ」は随分と減ってしまうような気がするんですよ。なぜなら、目が動く方向、というバラエティー・オプションを一つ失うわけですから。

 で、思いました。縦書きという表現手法を誌面の編集者から奪うことは、画家の絵の具から一つの色を抜くことにも等しい行為なのではないか、と。

 これまでは縦書きを読みやすさとか奇抜さとか高級感とか、書き手の視点から見ていましたが、それだけじゃなくて編集者的な視点からも縦書きは重要な気がしてきました。

 雑誌モードとか、新しい案内ページについても、雑誌的な「賑やかし」の点から縦と横を混在させる自動組版にチャレンジしたくて作ったものです。

 ウェブサイトも、表現のスパイスとして読者に文字を縦にも横にも読ませるという「賑やかし」を駆使したら、きっと読者を飽きさせない手段として応用できると思います。

 今のウェブサイトは文字の方向が一様だったり、同じようなレイアウトの縦方向への繰り返しだったりといったことがまだまだ多く、雑誌に比べると随分と表現が単純だなあと感じますが、その原因として縦書き組版が無いというのは、無視できない要因なのではないでしょうか。

 というわけで、縦書き文庫の作品広場も、今のように機械的な統計結果を露出する場所としてではなく、よくわからないけれども訪問者を楽しくさせてしまうような雑誌的なアプローチを考えていけたら面白いかなあと思うようになりました。

 ちなみに拾い読みした雑誌は、ANANでした(2003年の)。